天水枡の自動給水システム

銀色に光るススキの穂の向こうに、八ヶ岳がくっきりと広がり、今朝はさわやかな秋らしい朝でした。でも、相変わらずパソコンにかじりついています。さっき、原稿を送信し、やっと18ページ、終わりました。残りはあと、2ページもの2本。でもそのうちの1本はまだ取材や撮影も終わっていません。明日の森カフェはちょっと無理そうな状況になってしまいました。残念だなぁ。

 でも、良かった、やっと終りが見えてきました。
写真は、我が家の雨水マスです。これからこれの原稿を書きます。写真右奥の灰色のドラム缶でコンテナ車庫の屋根からの雨水を受けます。地中にパイプを配し、パスカルの原理を使って、この灰色のドラム缶に貯まった雨水を畑の各所に配るというシステムです。近くに屋根はないのに左側の黄緑色のドラム缶にも雨水がたまります(奥の灰色のドラム缶と同じ高さにセットしてあります)。蛇口の近くなのでこのドラム缶に貯まった雨水はバルブを使って、出し惜しみしながら使えるというカラクリです。畑の各所に半割りのドラム缶があって、そこに水を貯めることが出来ます。下の写真は、雨水の残量計を兼ねた「蛇口の閉め忘れ防止システム?」。白い棒の一番上の釘は、灰色のドラム缶とほぼ同じ高さになっています。ちょっと面白いでしょ。

……きょうは、911。便利さや効率を求めすぎて、「分業化」が進みすぎるのは良くないと思う……。自分の作っているものや自分のやっていることが、見えにくくなってしまうから。それは、生きものたちの遺伝子を傷つけてしまう恐れのある農薬であったり、地球の裏側まで影響を及ぼしかねない原発の部品だったり、あるいは人殺しのための兵器だったり。そして気が付いたら、いつの間にかそこあったのは、戦争がないと破綻してしまう社会システムだったり……。でも「効率のための作業の分業化が進み」そのシステムの中に組み込まれてしまったら、それが見えにくくなってしまう。そしてそこから抜け出すのはかなり難しい。「生き方としての進路」を考えるにあたって、高3の娘はそんなことにも悩んでいるらしい。世界中のすべての人が幸せを感じられるような社会が訪れますように!