Blog「自給知足がおもしろい」

自給「知」足と称した、貧乏くさい暮らしを楽しむためのブログです。

完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的で質素な暮らし方が可能で、それにより身近なことで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも哺乳類の一種として自然の生態系の中で
虫や草や菌類など他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくてお金をたくさん得られても、たぶんどんなお金持ちになっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうか、よろしく。


廃材で建てる進化型掘っ立て車庫

 あまりにゆがみがひどくて大工さんから見捨てられたツーバイ材や、中古の単管パイプを使って作る「簡単便利な掘っ立て車庫」というのが、やっとどうにか形になりました。

 思いのほか時間がかかってしまったのは、廃材の波板だけでどうにか間に合わせようと、波のつぶれを鈑金したり、波板のサビや穴を補修したりしながらの作業だったので、そのあたりで予想以上に時間がかかってしまったのでした。中古の波板は、波のピッチが一枚一枚微妙に違っていて波がうまく合わなかったりするのです。それを補正する方法もどうにか編み出しました。歪んだ材木もビスで引っ張って無理やり修正して使ったり、廃材でモノを作るにはさまざまな工夫が必要ですが、でもそれは楽しい作業でもありました。ちょっと自慢なのは、今回新たに購入したのは、単管パイプが1本と垂木止め用のクランプ(←これは工夫すれば買わなくても良かったなぁ、とあとで後悔)だけ、ということ。他は家にあったガラクタをかき集めたら、どうにか形にすることができたのでした。田舎は場所があるから、モノを捨てずにとっておける、というのがなんともありがたいのです。時間はかかってしまったけど、捨てられていたモノをストックしておき、それを修繕しながら使うというのは、なんとなく性にあってて好きだなぁ。お金もかからないわけだし。
 この車庫のポイントは基礎を打たない掘っ立て方式であるということ。基礎が不要というだけでなく、凍結深度のことや、基礎の上での接合がないので、剛性が保ちやすく筋交いや火打ち梁がいらない(少なくてすむ)など、掘っ立て方式(ポールビルディング)はいろいろな面でたくさんのメリットのある工法だと思います。
 詳しくは、9月26日発売の「ガレージビルダー3」で紹介させていただくことになっています。さらに、今後この車庫は、少しずつだけど進化させていく予定。横方向に拡張しクルマが三台入る車庫に変身したり、周囲に薪棚を兼ねた壁を作ったり、跳ね上げ式の超軽量ガレージドアを付けたり、屋根に中古のソーラーパネルを載せ、再生した廃バッテリーと組み合わせて独立型のソーラー車庫にしよう……などなど夢だけはどんどん広がっています。そんなわけで、いつになったら完成するのか、本人にも分かりませんが、本屋ででもガレージビルダーを見かけたら、たまにチラッとのぞいて、あーまだやってるよ、と、笑ってやってください。
 さあて、と、作業はこれでひと段楽したので、これからは写真の整理と原稿書きです。数えてみたら、あと20ページくらいありました。書いていても比較的楽しい原稿ではあるのだけれど、26日発売に果たして間に合うだろうか? やや心配。

↑中古の足場パイプも、ペンキを塗れば新品みたいに蘇ります。パイプだけでなく、クランプも一緒にアーモンドブラウンに塗ると、一体感がでて、単管パイプの安っぽさがなくなりちょっといい感じ? 
 ところで娘はいま、高校3年生です。17歳というこの素晴らしい時期のこの貴重な時間を、受験勉強などというつまらない学びに費やしてしまうのは、「もの凄くモッタイナイ!」ということで親子の意見は激しく一致しているのでした(笑)。はい、変な親子です!
 近・現代史や最新の分子生物学、それに脳科学なんかを中心に大学の試験問題を作ったら、受験勉強も少しは面白くなるんだろうになぁ。娘の学校(自由の森学園)では、幸徳秋水が獄中で詠んだ「途(みち)、窮まれど未だ神を祈らず」についてみんなで考えていたりするようです。授業がなんだかとても面白そうなのです。「学ぶことの楽しさ」をこの時期に知ることができた、というのは大収穫であり、ちょっと羨ましい感じもあります。