完璧な自給自足は目指さず、「テキトー」と「いー加減」をモットーにあまり頑張りすぎない、
そんな暮らし方がこの頃なんだか、とてもオモシロイ!と感じています。
自給「知足」的な暮らしは言いかえると「貧乏臭い・ケチ臭い暮らし」でもあります。

でも「ケチ臭いビンボー暮らし」も、そう捨てたものではありません。
ビンボー暮らしは、お金をそれほど必要としない暮らしとも言えます。
そのため、お金稼ぎの作業や仕事に長時間、拘束されずにすみ、
その分の時間を、ヒトが暮らすための作業に使うことができます。

農的でていねいな暮らし方が可能で、身近なところで幸せを感じることができたりもします。
また、昔ながらの農的な暮らしは、ヒトも一種の哺乳類として自然の生態系の中で
他のいきものたちと共に生きる暮らし方だったりもします。

そして、こうしたテキトーでいー加減な自給的な暮らしをうまくやっていくポイントは、「知足」? 
人間の欲望は際限がなくて、いくらお金を得られたとしても、たぶんいつまでたっても満たされません。
でも逆に、小さなちょっとしたことでも、とても幸せに感じられることがあったりします……不思議です。

日々の暮らしの中から「自給知足的な暮らし」を楽しむためのヒント? 
のようなものを、紹介できたらいいなぁ、と思っています。どうぞ、よろしく。


梅雨あけ?と穂発芽

やっと雨があがりました。きょうからニイニイゼミの合唱に「ジー」という野太い高周波のエゾゼミが加わりました。ルリボシカミキリもいっせいに羽化。足を広げたユーモラスな格好でアチコチを飛びまわっています。
エノキやサクラの薪を温存するので、家人に「あなたはルリボシちゃんのために薪を作っているのね!」などと言われることがあるのですが、まあ、それも100%は否定できず……。

雨はあがり青空も見えてきたのですが、小麦はみごとに穂発芽していました。

↑大切にしていたスペルト小麦だったのに……。
↓小麦だけでなく、なんとルッコラも空中のサヤから発芽していました。

穂発芽してしまうと、発芽の際に生じる酵素によってデンプンやタンパク質が分解されてしまい、味は極端に劣ってしまうといわれています。でも、発芽させることでフィチン酸の影響はなくなるのではないだろうか?……しかし、穂発芽すると味が劣るのか鳥も食べなくなります。インターネットが普及し、何を信じたらいいのか分からないほどに情報過多になって、安全性の判断材料として「味覚」を大切にしたいと思っているのだけれど、鳥が食べない、ということは、なにか問題があるのだろうか? 下の写真はコユキコムギ。完熟粒なのに穂発芽した粒は鳥に食べられずに残っているのです。

しかも鳥たちも雨でエサをとることができず、猛烈におなかをすかせていたようです。今朝起きたら、我が家の麦畑はハトとスズメとカラスの楽園になっていました。 

茎を折られてコユキコムギはほぼ全滅状態。これでは来年のタネが確保できるかどうか。困ったなぁ。
でも、まあ、せっかく発芽したのだから、このまま捨ててしまうのもモッタイナイ。はたしてこれを地面におろすとどうなるのか?実験してみることにしました。秋までにみごとに実ってくれるのか? それともあるいは、越冬するのだろうか?