草の茎や木の枝に、しがみつくようにして死んでいるバッタの姿を見たことがある人は比較的多いと思います。
これはエントモファーガ・グリリと呼ばれる昆虫寄生菌の仕業。
この菌の凄いところは、どうも宿主であるバッタたちをコントロールして草や木に登らせている、と思われること。頂上まで行き着いたところでしっかりと茎や枝にしがみつかせ死亡させる、のです。
娘が小学生だった頃、学校から帰るとよく木登りをしていました。娘が「おとーさーん、たいへん! ウコギの木の上でバッタがたくさん死んでる」と血相を変えて畑にやってきたことがありました。彼女がいつも登っているミズキのすぐ隣にあるウコギの木のテッペン付近がミズキの木に登るとちょうど目線あたりに見えるのですが、その枝先にたくさんのバッタがいて、枝にしがみついた状態で皆、死んでいたのでした。なんとも恐ろしい光景。
グリリは、できるだけ高いところにバッタを登らせ、そしてそこで茎や枝にしっかりしがみつかせた状態で成仏させる、のです。グリリの胞子をできるだけ高いところから広い範囲に拡散させたいからではないか、と思われます。グリリという菌は、寄生することで宿主をコントロールすることができるようになるとしたら、それは凄いことであると同時に、我々のような宿主の側からすると恐ろしいことでもあります(菌だけではなく、アオムシコマユバチのような大きな寄生虫でも、交尾に有利だからか、支柱などを登らせ、高いところに宿主を移動させる傾向にあるように思います)。
ところで、当時はタミフルのせいにされてしまったけれども、タミフルを飲んだあとで異常行動を起こした場合と、タミフルを飲む前、あるいはまったく飲んでいないのに同様の症状がでた場合とで、統計的には有意の差がないことがいまは知られていたりします。インフルエンザというウイルスが直接ヒトに異常行動を起こすとは必ずしも思えないけれども、間接的に何かに作用させて感染者に異常行動を起こさせる可能性もあるのではないか? などと思ってしまうのでした。
ところでエントモファーガ(昆虫寄生菌)では、グリリに並んで、マイマイが有名です。
⇧こちらのカラフルなかたがマイマイさん。ブランコ毛虫としても知られ、愛嬌のある顔をしているのですが、ときに大量発生することがあります。ちなみに、成虫の鱗毛には毒があり、卵や若齢幼虫はそれに守られているのですが、写真の幼虫くらいの大きさになるとそれもなくなるので、普通は素手で触っても大丈夫(なはず)です(ただし最近では、成虫の鱗毛にも毒はなかった、という説もあります)。
話を戻します。エントモファーガです。エントモファーガ・マイマイ(ガ)は、マイマイガの幼虫に寄生する昆虫寄生菌です。
マイマイガは周期的に大発生を繰り返すことが知られています。
最近では2007年のペンシルベニアでの大発生が有名ですが、マイマイガは食性が広く、雑食なので、木が1本、丸坊主にされるだけでなく、山全体が丸坊主にされてしまうくらいの大発生をすることがあります。
でも、自然の場合は、これが自然なことでもあったりします。毎年、平均的な発生数を繰り返すよりも、大きな環境変化が続いた場合、定期的に大発生をする、ということが種の存続のために有利だったりするようです。そのために、セミなどは地上に羽化するまでの期間が7年だったり、13年だったり、17年だったり素数なのではないか(公約数がないことが大発生を誘引することができる)と推測されていたりします。
⇧そのあたりのことを詳しく知りたい方はこちらをどうぞ。
で、エントモファーガですが、エントモファーガには、エントモファーガ・アウリカエ Entomophaga aulicaeと呼ばれる菌類がいます。アウリカエも、それぞれ個々に分離して調べてみるとそれぞれに選択的な毒性をもっているようで、アウリカエの中の一種がエントモファーガ・マイマイガのように思われます。分類されていないというだけで、アウリカエの中にはさらにいくつか独立した種がありそうで、冬虫夏草などもそうですが、それぞれの菌種による選択性はかなりしっかりしていそうです。
ところで、エントモファはラテン語系で「虫」の意味。エントモファーガになると「虫に寄生する菌」という意味になります。
昔の日本人は、ひとつひとつの虫こぶ(五倍子=フシ)にまで個々に固有名詞を付けていたというくらいに虫に対する観察眼に優れた人たちでした。そんなわけで日本には古くから、エントモファーガに対応する呼び方がありました。
日本では昆虫寄生菌のことを「コシャリ」または「カツゴ」と呼んでいました。
一番注目されていたのはカイコにつく「コシャリ」=「白彊菌(はくきょうきん、この漢字をそのまま「かつご」と読む場合もあります)」で、この菌が発生してしまうと、カイコが全滅してしまうのでとても恐れられていました。と同時に、この菌の仲間を使った農法なども知られていて、それのことも「こしゃり」と呼ばれていたりしました(ここでは農法はひらがなで表記することにします)。
話は変わりますが「夜盗虫(よとうむし)」と呼ばれている虫がいます。ヨトウガやハスモンヨトウなどの幼虫のことなのですが、ある年、虫草農園で大発生してしまったことがありました。実はこれ、待ち構えていた事態でもありました。
⇧こちらがヨトウムシ。食欲旺盛で、ヨトウムシも雑食性で多くの植物を食べることができるのですが、特に十字形植物を好むようで、わが家の野良坊はこの年、どこも葉脈標本のようになってしまっていたのでした。
これだけ大発生すれば、エントモファーガを見つけられるに違いない、と探したのですが、当初はなかなか見つかりませんでした。
しばらくしてようやく見つかり、幼虫を飼育すると共に、培養を試みたのがこの写真。
⇧虫の体から、子実体のようなものがでているようにも見えます。
そして胞子もたくさん出ました。
虫の体を、そーと横によけてみるとこんな感じ。
⇧胞子で幼虫の体の形が転写されたかのようになっていました。
伝統農法こしゃりでは、感染した幼虫をたくさん集め、それをすりつぶしたのち、水で薄めて散布したり、死骸を集めて感染がない他の畑に散布していたらしいのですが、この方法でも胞子を集めることはできそうです。
試しに胞子を集め、撒きやすいので水に混ぜて散布したのですが、それが功を奏したのか(それとも元々パンデミックを起こす要素があったのか、そのあたりは不明なのですが)、ヨトウガが大発生したように、エントモファーガ・アウリカエも大流行し、野良坊菜はどうにか冬前に持ち直して冬を越え、春には美味しい菜花のお浸しをいただくことができました。
コシャリにやられることなくカイコを育てる方法を発見した人として、永井紺周郎(江戸末期の養蚕家)という人が知られています。そしてその方法は、温度を下げないことでした。カイコに感染する「コシャリ」は、暑さに弱いらしく、夏も囲炉裏で火をたきながらカイコを育てる方法が永井紺周郎が提唱した飼育方法でした。
ヨトウガに感染するエントモファーガの場合も、どうもその傾向にあるようです。気温が25度以下になると活性化すると言われ、このときも秋になって気温が下がると共に、菌は活性化し、幼虫は大幅に数を減らしました(カイコの場合は逆なので幼虫が減っては困るわけですが)。
⇧自然状態で感染した、もしかしたらハスモンヨトウ? 本来、ハスモンヨトウには緑彊菌という緑色の胞子を産む菌に侵されるとのことなのですが、この個体の胞子は白く、白彊菌のようでした。
⇧普段、昼間は土の中に潜っていて目立たないはずのヨトウガの幼虫がこんな感じで昼間から葉先にいたりします。寄生菌になにかをコントロールされてしまっている、ということでしょうか? 右側の白い個体はすでに病死したもの。バッタに寄生するエントモファーガ・グリリ同様、野良坊菜の頂上付近で死んでいる個体を多く見かけます。
この出来事があったのは、2017年の夏から秋にかけてなのですが、その後、ヨトウガも幼虫の姿はあまり見かけませんが、全滅してしまったわけではなく、食害されたと思われる野菜の苗の根本を掘ると土の中にはいるので、いつもの年のようには棲息してはいるようです。
また、ヨトウムシが大発生していたときにはほとんど見かけなかったモンシロチョウの幼虫を、野良坊菜の復活とともに見かけるようになりました。ヨトウガに大感染する白彊菌(はくきょうきん)は、モンシロチョウには感染しないようです。
バッカク菌系の冬虫夏草もそうですが、どれも似た同じ仲間の菌ではあるにもかかわらず、宿主に対する選択性はしっかりしてい、たとえばセミタケはニイニイゼミの幼虫に寄生はするけれども、アブラゼミには寄生できず、アブラゼミに寄生するのはオオセミタケと呼ばれる別の冬虫夏草だったりします。エントモファーガに関しても似たようなことが言えると思うのですが、正確なところは分かりません。
気になるのはヒトへの影響ですが、ヨトウガに寄生するエントモファーガが人に感染するという情報やあるいはそれらを食べる、という情報はないのですが、カイコのエントモファーガである白彊菌に侵されたカイコの幼虫の死体は、白彊蚕(はくきょうさん、もしくは「びゃくきょうさん」)などと呼ばれて、漢方薬のひとつだったりします。白彊蚕は、鎮痛剤として知られていて、インフルエンザに伴う異常行動のひとつでもある熱性けいれんの緩和にも効用があるとのこと。関連性があるかは分かりませんが、ちょっと気になるところではあります。
種は定期的な大発生というメカニズムを使って大きな環境変化が起きても、種としての遺伝子をなんとか残そうとする一方で、自然の生態系は、大発生による個体数バランスの崩れを平衡に保とうと、選択性の高い感染症などを使ってその種の棲息密度に応じて個体数コントロールをしているようにも見受けられます。
⇧エントモファーガの最盛期は各所でこんな感じでした。
ヒトも地球の生態系からすると現在、大発生中であることはあきらかで、ヒトのパンデミックを想像すると、ちょっとぞっとする光景でもあったりします。